「バリ島って、結局どんなところ?」
「観光地は多いけど、本当に感動できるの?」
「行ってみて、自分に合わなかったらどうしよう…」
出発前の自分も、同じ不安を抱えていました。
でも実際に旅を終えて振り返ると、
心に深く残った感動は、派手な体験よりも“静かな瞬間”でした。
ここでは、
バリ島で本当に感動した5つの体験を、正直な気持ちで綴ります。
なぜバリ島のサンセットは特別なのか
世界中どこでも、夕日は沈みます。
それでもバリ島のサンセットが特別に感じられたのは――
その場に流れる「静けさ」でした。
- 誰も急がない
- 無理に盛り上がらない
- ただ、沈むのを待つ
観光地でありながら、
不思議と心が落ち着いていく時間が流れています。
「きれいだから見る」のではなく、
気づいたら立ち止まっていた。
それが、バリ島の夕日でした。
実際に一番感動したサンセットスポット
タナロット寺院の夕日

海に浮かぶように建つ寺院と、ゆっくり沈む太陽。
神聖さと観光地らしさが混ざり合う中で、
夕日が沈む瞬間だけ、空気が一変します。
波の音と祈りの気配が重なり、
言葉を失う静寂が訪れました。
ウルワツ寺院の夕日

断崖の上から見下ろす、果てしないインド洋。
夕日が沈むにつれ、
自然の大きさと人の小ささを否応なく感じさせられます。
「美しい」という感情と同時に、
どこか背筋が伸びるような感覚が残る夕日でした。
クタ・レギアン・スミニャックの夕日

人が多く、にぎやかなエリア。
それでも夕暮れ時になると、
サーフボードを抱えた人たちが自然と海を見つめ始めます。
にぎやかさの中にある、
日常に溶け込んだサンセット。
「観光地でも、ちゃんと夕日は心に届く」
そう思わせてくれた場所です。
チャングービーチの夕日

カフェやビーチクラブが並ぶチャングー。
音楽が流れていても、
夕日が沈む瞬間だけは、どこか空気が柔らぐ。
お酒を飲みながらでも、
ただ砂浜に座っていてもいい。
“頑張らなくていいサンセット”が、ここにはありました。
レンボンガン島・チュニガン島の夕日

バリ島本島とは、時間の流れが明らかに違います。
島の西側で見る夕日は、
音も、人も、情報も少ない。
あるのは、
波と風と、沈んでいく太陽だけ。
「旅に来た」という感覚より、
“戻ってきた”ような安心感がありました。
ギリ・トラワンガン島の夕日

モーターバイクのない島。
馬車の音と、潮の匂いの中で見る夕日。
島の西側に人が集まっても、
不思議と騒がしくなりません。
夕日が沈むと、
一日がきちんと終わったような感覚になります。
ペニダ島の夕日

荒々しい地形と、手つかずの自然。
ペニダ島の夕日は、
「癒し」というより圧倒に近い。
簡単に近づけない場所だからこそ、
夕日が沈む瞬間の重みが違いました。
伝えたいこと
どの場所でも共通していたのは、
✔ 写真より、空気
✔ 情報より、体感
✔ 言葉より、沈黙
バリ島のサンセットは、
「何かを感じにいく時間」でした。
バリ島の日常に溶け込む祈りの風景
バリ島を歩いていると、必ず目に入るものがあります。
道端に置かれた小さな供え物。
家の前、店先、ホテルの入り口。
どこにでも、当たり前のようにあります。
最初は正直、少し戸惑いました。
「これは宗教的なもの?」
「観光客が見ていて大丈夫なのかな?」
「知らずに失礼なことをしていないだろうか」
そんな不安を感じるのは、自然なことだと思います。
でも滞在を重ねるうちに、気づきました。
バリ島の祈りは、特別な儀式ではなく、生活そのものなのだと。
観光客の自分が立ち止まった瞬間
ある朝、まだ人通りの少ない道を歩いていると、
家の前で静かに祈っている女性の姿を見かけました。
誰に見せるわけでもなく、
急ぐ様子もなく、
ただ淡々と手を合わせている。
その場に流れていた空気は、とても静かで、穏やかでした。
思わず足を止めてしまったのは、
その祈りが「信仰を主張するもの」ではなく、
心を整える時間に見えたからです。
「見てはいけない」のではなく、
「邪魔をしないよう、そっと通る」。
その距離感が、自然に分かる瞬間でした。
なぜこの文化が続いているのか
バリ島では、ヒンドゥー教を中心とした信仰が、
何百年も前から暮らしの中に根付いています。
祈りは、
- 願いを叶えるため
- 罰を避けるため
だけではありません。
一日の始まりと終わりを、きちんと区切るため。
心を落ち着かせ、感謝を思い出すため。
忙しい現代でも、
この「立ち止まる習慣」が、当たり前のように続いています。
だからこそ、
バリ島の時間は、どこかゆっくり感じられるのかもしれません。
日本と比べて気づいた心の違い
日本では、
- 効率
- 成果
- スピード
が重視されがちです。
立ち止まることは、
「遅れ」「無駄」と感じてしまうこともあります。
一方、バリ島では、
- 今ここにいること
- 感謝すること
- 心を整えること
が、生活の中に組み込まれています。
どちらが正しい、という話ではありません。
ただ、バリ島の祈りを見ていると、
心に余白があることの大切さを思い出させてくれました。
旅行者が敬意を持つために知っておきたいこと
宗教や文化に詳しくなくても、
最低限これだけ意識すれば大丈夫です。
供え物(チャナン)に注意する
道や建物の前に置かれている小さな供え物は、
踏まないように気をつけましょう。
祈りの邪魔をしない
写真を撮る前に、
一呼吸おいて周囲を確認するだけで印象は変わります。
寺院では服装に配慮する
露出の多い服装は避け、
腰布(サロン)を着用するのが基本です。
「知らなかった」を恐れすぎない
大切なのは完璧さより、敬意です。
静かに振る舞う。
それだけで、十分伝わります。
この風景が、なぜ「感動」だったのか
派手なイベントではありません。
でも、
毎日当たり前のように祈る姿を見ているうちに、
自分の心も自然と落ち着いていきました。
バリ島で感動したのは、
信仰そのものより、信仰と共に生きる姿だったのだと思います。
最初は警戒していたバリ島の人々
正直に言うと、バリ島に来た直後は、
人の優しさをそのまま受け取れませんでした。
- 「本当に親切なのか?」
- 「後から何か要求されるのでは?」
- 「観光客だから近づいてくるのでは?」
海外旅行の経験がある人ほど、
警戒する癖が身についていると思います。
特に一人旅だと、
「自分の身は自分で守らなきゃ」という意識が強くなります。
だから最初は、
笑顔で話しかけられても、
一歩引いて構えていました。
忘れられない“あの出来事”
ペニダ島をバイクで走っていたときのことです。
舗装されていない悪路に迷い込み、
気づけば道はどんどん細く、傾斜もきつくなっていました。
「戻ったほうがいいかもしれない」
そう思った瞬間、
バイクがバランスを崩し、土手の下に落ちそうになったんです。
正直、かなり焦りました。
そのとき、近くにいたローカルの男性が、
すぐに駆け寄ってきてくれました。
言葉はほとんど通じません。
でも状況を一瞬で理解し、
バイクを支え、一緒に安全な場所まで戻してくれました。
さらに、
「この道は危ない」と身振りで教えてくれ、
目的地までの道案内までしてくれたのです。
別の日、今度は傾斜した駐車場から
バイクを出そうとしたときのこと。
スタートしようとした瞬間、
バランスを崩してバイクが横倒しになってしまいました。
すると、
それを見ていた近くのローカルが、
何も言わずに走ってきて、
一緒にバイクを起こしてくれました。
特別なやりとりはありません。
笑顔でうなずくだけ。
それだけで、
「大丈夫だよ」と伝わってくるようでした。
チュニガン島では、
ニュピ(バリ・ヒンドゥー教の静寂の日)前日の夜、
コミュニティの祈りの儀式に参加させてもらう機会もありました。
観光客の自分を、
自然に輪の中に迎え入れてくれたこと。
「見る側」ではなく、
「その場にいる一人」として扱ってくれたことが、
とても印象に残っています。
さらに、島から島へボートで移動する際、
予定外のトラブルがありました。
本来は別の場所で返却するはずだったレンタルバイクを、
港で返さなければならないイレギュラーな状況に。
不安になりながら事情を説明すると、
スタッフは嫌な顔ひとつせず、
「OK」とだけ言って、対応してくれました。
規則よりも、
人の状況を優先してくれる柔軟さ。
その姿勢に、何度も救われました。
これらの出来事に共通していたのは、
見返りを求めない、自然な行動でした。
「助けてあげた」という雰囲気すらなく、
ただ、困っている人がいれば手を差し伸べる。
それが、
バリ島の“人の優しさ”なのだと感じました。
優しさに甘えすぎないための注意点
もちろん、すべてを無条件に信じる必要はありません。
バリ島は優しい場所ですが、
観光地であることも事実です。
気をつけたいのは、
- お金や投資の話が出たら距離を置く
- その場で決断を迫られたら断る
- 「今だけ」「特別」という言葉に流されない
大切なのは、
疑うことではなく、冷静でいること。
感謝しつつ、判断は自分で。
このバランスが、旅を安全にしてくれます。
この経験が旅の価値を変えた
バリ島での出会いは、
「人は怖い存在かもしれない」という思い込みを、
少しだけ溶かしてくれました。
すべての人が善人ではありません。
でも、
善意が自然に存在する場所は確かにあります。
観光名所や写真よりも、
人との小さなやりとりの方が、
長く心に残る。
そう感じられたことが、
この旅の一番の収穫でした。
一人旅・内面変化
今回の離島めぐりで、最初に向かったのは
以前訪れてすっかり好きになったレンモンガン島とチュニンガン島でした。
どこか「帰ってきた」と感じるような、不思議な安心感のある島です。
まずはチュニンガン島へ渡り、イエローブリッジをゆっくりと越える。
この橋を渡るたびに、時間の流れが一段落ちる感覚があります。
次に向かったのはブルーラグーン。
そしてそこから徒歩圏内にあるマハナポイントへ。
険しさのある地形ですが、歩いて移動できる距離だからこそ、島の空気や匂いを肌で感じられます。
続いて、ドリームビーチ、悪魔の涙(デビルズ・ティアーズ)へ。
波が岩に叩きつけられる音は、自然の迫力そのもの。
観光名所ではあるものの、何度見ても圧倒されます。
その後は少し場所を変えて、マングローブエリアへ。
先ほどまでの荒々しい海とは対照的に、水面は穏やかで、風の音もやさしい。
同じ島とは思えないほど、表情の違いを見せてくれます。
観光をひと通り終えたあと、
海沿いの Sea Breeze Cafe でひと休み。
強すぎない風と、静かな波音。
ここでようやく、肩の力が少し抜けたのを感じました。
夕暮れ時は、再びマハナポイントへ。
西のインド洋に、太陽がゆっくり沈んでいく。
空の色が刻々と変わり、言葉がいらない時間が流れていきます。
そして夜は、KLYF(クライフ)で夕食。
食事をしながら聞こえてくるのは、
闇の中で打ち寄せるブルーラグーンの波の音と、心地よい潮風。
照明も音楽も控えめで、
「何かをしなきゃいけない」という感覚が、完全に消えていく。
この時、はっきりと気づきました。
この島では、詰め込まなくても、満たされるのだと。
何もしないと決めた日
チュニガン島に来て3日目。
この日は、海のニュピ(Nyepi Laut)にあたりました。
海のニュピの日は、漁やボートの運航が完全に止まります。
そのため、当初予定していたペニダ島への移動はできなくなり、
結果的に、チュニガン島に留まるしかない一日になりました。
正直、最初は少し戸惑いました。
「予定が狂ったな」
「今日はどう過ごそうか」
でも、その強制的な“何もできなさ”が、
この旅の流れを大きく変えることになります。
自然の音だけに包まれた時間
海のニュピ当日、島はいつも以上に静かでした。
エンジン音も、船の音もない。
聞こえるのは、風と鳥の声、
そして遠くで規則正しく打ち寄せる波の音だけ。
前日の午前中、
村人たちが集まり、海のニュピに向けた祈りの儀式が行われていました。
観光客の自分も、
特別扱いされることなく、
自然な流れで輪の中に入れてもらい、
一緒に手を合わせる時間を過ごしました。
言葉はほとんど分かりません。
それでも、場の空気や真剣な表情から、
「自然と共に生きる」という価値観が、
深く伝わってきました。
心と体に起きた変化
その日は、本当に何もしませんでした。
予定を立てない
移動しない
写真を撮り続けない
ただ、海を眺め、風を感じるだけ。
すると、少しずつ変化が起きました。
- 呼吸が、自然と深くなる
- 余計な思考が静まっていく
- 理由のない不安が薄れていく
「何かをしなきゃ」という焦りが消え、
ただ“ここにいる”ことが、十分だと感じられるようになりました。
この旅が教えてくれたこと
この日、強く感じたのは――
「何もしない=悪」ではない
という、とてもシンプルな事実です。
日本にいると、
何かをしていない時間に、つい罪悪感を持ってしまいます。
でも、バリ島、とくにチュニガン島では違いました。
何もしない時間は、
心を整え、
自分に戻るための大切な時間。
予定が狂ったからこそ出会えた静けさ。
動けなかったからこそ、深く感じられた時間。
この旅で一番感動したのは、
観光地でも、絶景でもなく――
「何もしなかった一日」だったのかもしれません。
海・サーフィン|波と向き合う時間
今回は、サーフィンはしませんでした。
昨年、サーフィン中に肋骨を骨折した経験があり、今回は無理をせず島めぐりそのものを目的にした旅にしたからです。
それでも、
バリ島とサーフィンは切っても切れない関係だと、あらためて感じました。
バリ島は、世界有数のサーフィンのメッカ。
世界中のサーファーが、この島を目指してやってきます。
クタやレギアンに代表される、
初心者でも挑戦しやすいビーチブレイク。
チャングー、ウルワツ、クラマス、メデウィなど、
中・上級者を魅了するリーフブレイク。
ポイントの数がとにかく多く、
レベルやスタイルに合わせて波を選べる。
だからこそ、
「いつかここで波に乗りたい」
そう思わせる力が、この島にはあります。
今回は、海に入らず、
ただ波を眺めるだけ。
それでも不思議と、
心は満たされていました。
波を追いかけるサーファーたちの姿を見ながら、
自分自身もまた、
「焦らず、今の自分のペースでいい」
そう言われているような気がしたのです。
バリ島の海は、
挑戦する人にも、休む人にも、
ちゃんと居場所を用意してくれる。
だからこそ、
何度でも戻ってきたくなるのだと思います。
Q&A|よくある質問
Q1. バリ島旅行は「何もしない」過ごし方でも楽しめますか?
はい、むしろバリ島だからこそ成立する楽しみ方です。
自然の音、祈りのある日常、時間の流れの緩やかさがあり、予定を詰めなくても心が満たされます。観光地を回るだけでは気づけない、バリ島本来の魅力に触れられます。
Q2. 一人旅で何もしない時間を過ごすのは不安ではありませんか?
最初は不安を感じる人が多いです。
ただ、実際に体験すると「何かをしなければ」という焦りが自然と消え、自分のペースを取り戻す感覚が生まれます。一人旅だからこそ、周囲に合わせず静かな時間を受け入れられます。
Q3. 離島(レンモンガン島・チュニガン島)は初心者でも大丈夫?
はい、比較的落ち着いた雰囲気で初心者にも向いています。
道は荒れている場所もありますが、現地の人の助けや優しさに触れる場面も多く、過度に怖がる必要はありません。ただし、無理な運転や夜間の移動は避けましょう。
Q4. 海のニュピ(Nyepi Laut)の日は何が制限されますか?
海のニュピの日は、ボート移動や海に関わる行動が制限されます。
観光客も島に留まる必要がありますが、その分、島全体が静まり返り、特別な時間を体験できます。事前にスケジュール確認をしておくと安心です。
Q5. 現地の祈りや儀式に参加しても大丈夫ですか?
基本的には、敬意を持っていれば歓迎されることが多いです。
服装や態度に配慮し、写真撮影は必ず許可を取るようにしましょう。観光では得られない、深い文化体験になることがあります。
Q6. バリ島はアクティブに動かないと「もったいない」ですか?
いいえ。
「たくさん回る=満足」ではありません。
何もしない時間の中で、自分の感覚が整い、旅の満足度が高まる人も多いです。バリ島は、動かなくても価値がある場所です。
Q7. サーフィンをしなくてもバリ島は楽しめますか?
もちろんです。
サーフィンはバリ島の象徴ですが、自然、文化、人、時間の流れなど、魅力はそれだけではありません。波を眺めるだけでも、バリ島らしさを十分に感じられます。
Q8. バリ島一人旅で一番大切な心構えは?
「予定通りにいかなくてもいい」と受け入れることです。
船が出ない、予定が変わる、何も起きない——
その“余白”こそが、バリ島の旅を特別なものにしてくれます。
まとめ|バリ島で一番感動したのは“何もしなかった時間”だった
今回の旅を振り返って、
「一番感動したのはどこだった?」と聞かれたら、
正直にこう答えます。
特別な観光地でも、絶景スポットでもなく、
“何もしなかった時間”そのものだった。
島を巡り、
人に助けられ、
祈りの場に身を置き、
海と風の音に包まれながら過ごすうちに、
少しずつ心の緊張がほどけていきました。
予定が崩れたこともありました。
思い通りに動けなかった日もありました。
でも、その「思い通りにならなさ」こそが、
この旅を深くしてくれたように思います。
何かを成し遂げなくてもいい。
写真を撮らなくてもいい。
移動しなくても、消費しなくてもいい。
ただ呼吸して、
ただそこにいる。
バリ島は、
そんな時間を「それでいい」と
静かに肯定してくれる場所でした。
もし今、
忙しさや情報に追われて、
少し疲れているなら。
バリ島で
何もしない旅をしてみてください。
きっと帰る頃には、
「また頑張ろう」ではなく、
「このままでいい」という
やさしい感覚を持ち帰れるはずです。

最後まで読んでくれてありがとう。
次の記事でお会いしましょう。
またねー。💛








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